森の世紀が始まりました (第26回)
── 命を支えるダイナモ (5) ──

日本樹木種子研究所所長・東北大学名誉教授  江刺洋司

前回は「生体ダイナモ」の回転を促がすには酸素呼吸が必要ですが、自然界には水圏という酸素を容易には溶け込ませない環境があり、そんなところにも緑色植物は様々な適応戦略で生きている話をしました。特に、全く酸素を含まないヘドロの中に根を張り巡らせて生きる抽水植物は、地上部から酸素を運び込む通気組織を備えていましたが、木本植物の中にもそのような酸素の供給に必ずしも恵まれない環境、例えば湿原とか、潮の干満や熱帯雨林の雨季には水没するような場所に適応して生きる種があり、それらは気根というものを出してもっぱら大気中から酸素を取り込み、地下で這い回る根系で生体ダイナモを回転させるべく送り込んでいます。皆さんが知っているその代表は、熱帯・亜熱帯の海岸線に沿って生きるマングローブの林(写真29)かも知れません。

写真29 マングローブの森(( Photo by (c)Tomo.Yun )

何れにせよ、根系は先ずは養分を含んだ水分を光合成が始まる日中には大量に地上部に送らねばなりませんが(第21回、図13)、それに係わるシステムとは酸素呼吸によって多量のATPを生産して高い根圧を作りだす生体ダイナモ依存の体制だったのです。しかし、トマトを樹木にまで育て得たのには、トマトの仲間が有するもう一つの生理的特性があります。一年性草本植物が果実を一万個以上も着けながら樹木にまでどうして育ったのかを理解するには、彼らナス科植物に固有な生理的性質を付与した遺伝的背景もあるのですが、この問題は森の世紀という本題とは直接関係せず、植物界全体を理解するために別個に取り上げねばならないほど本質的な大きなことなので、話を先に進めるためにここでは関係する部分に限って触れるに留めます。

子どもたちに、自然をとりもどそう。

ハンド・イン・ハンドDAYは2007年9月25日
ハンド・イン・ハンドWEEKは9月22日〜29日

図16 ぼくの手に、きみの手にも、木を一本。
知ることよりも、感じることの大切さを。
子どもの五感を育てる緑と水を、町に、身近に。
第3回・アジアの子どもたちの秋の植樹祭 9.25
HAND IN HAND

生き物は自らがある大きさに育たなければ子供を作れません
 動物群にとっては自然なことですが、たとえいくら形が大きく育っても、個体自体がある程度に成熟する迄は卵を産んだり赤ちゃんを産んだりすることは出来ません。植物でも同じです。発芽したばかりの芽生えが花を着け、受精して自己の遺伝子(子孫)を後世に遺すことは出来ません。これは皆さんは学校で個体発生から系統発生への移行として学んだと思います。私達人類を除くと、有性生殖をするどの生き物達も、その子孫が次代により強く生きられるような相手(異性)を選び、子孫を沢山遺すことだけを目的に生きています。ですから、それを達成するために先ずは自分自身をより大きく立派に育てねばなりませんが(実験的には植物では生まれて間もない芽生えに子供を作らせることが可能ですが、ここでは触れません)、一般的には子供を作れるまで大きく育つ期間があって栄養生長期間(段階)と名付けられ、子孫を遺せるまでに育った生殖生長期間(段階)と区別されます。皆さんをこの生命科学上の原則に当てはめると、皆さんは将来それぞれ好ましい伴侶を得て、二人の各自の遺伝子を分かち合った子孫を遺すべく勉強し、自己啓発を行っている栄養生長期の最中にいることになります。ただ、進化を遂げ生物界の頂点に立つ人類ですから、生き物としての本能に忠実なだけでなく、理性を獲得して如何に生きるべきかの生き甲斐をも求めています。この傾向は経済力に恵まれ、固有の文化を有する先進国に生まれてしまうと、生き物固有の本能的な生き方よりも、個人としての生き甲斐追求の方に重点が移り、少子化の傾向を高めることになります。このNPO団体も一人一人の子供達(人間)がより望ましい環境(自然との共生)下で健やかに育つことを願っての活動です。そして、人類全体がそのような生き方を大事にするようにならなければ、生き物達が生きるこの地球号自体が破滅しかねないという自覚を持てずに自然災害に立ち向かうこともなく、それぞれの文化や宗教の衝突、戦争・テロで自らの未来を愚かにも犠牲にしているのが現状です。それこそ本来は、図16に見られるように、民族、宗派、伝統などという枠に囚われずに、若い世代が手を携えてこの地球をより長く人類が生きるに相応しい惑星にすべく努力せねばならないのです。

トマト固有な性質:栄養生長と生殖生長の同時進行が樹木化を可能にした
 さて、再び人間とは違って、理性とは無縁に生きる他の生き物達の生き方に話を戻します。ところで人間を含む全ての生き物は、太陽光によって体内に埋め込まれた体内時計の支配下で生きていました(第19回)。ということは、その時計と実際の太陽光の動きに同調させながら、栄養生長段階で自己を育み、やがて子孫を遺すべく生殖生長段階に入って行くことになります。ところで全ての緑色植物は基本的には太陽光が主導する環境変化をシグナルにして、出来るだけ栄養生長期間を長く続けて大きく生長してから、沢山の子孫を遺して生涯を終えようとしています。ただ、それが多年草や樹木になると、進化した哺乳動物のように毎年繰り返すことが出来るようになります。幸いにも、トマトは一年性草本植物でありながら、体内時計があってもそれが生殖生長段階への移行にはあまり係わらない、その結果としてトマトの栄養生長期間と生殖生長期間とは太陽光に影響されずに同居できるという特性(中性植物)を有していたのです。ですから、他の草本植物のように栄養生長段階から生殖生長段階に移行して死んでしまう、動物でいうなら多くの昆虫や川を遡上するサケのような生涯の閉じ方をせずに済む生き物だったのです。トマトは昼間の長さが変化して短くなっても、日本列島のような中緯度の地域なら冬が来ても一定の長さの太陽光には恵まれるので、気温だけを一定に保てば子供(果実)を作りながらその個体を成長させ続け得る数少ない植物であったことも夢の計画を実現できる理由だったのです。ですから、光合成産物を出来るだけ多量に生産できるように少なくとも毎日12時間以上は太陽光に曝し、年間を通じて夜間でも15℃程度の気温を保ち、前述したように根系がのびのび生長し、養分を含んだ水分を送ることが出来る人工空間(環境)を提供出来れば、理論的にはトマトに縄文杉と同じ運命を辿らせ得ると推定されたのです。ただ、そこまでの大きさに応える大空間、後楽園球場にも匹敵する大温室と少なくとも内野の正方形に相当するような大プールをたった一本のトマトのためだけに設営することは愚かなことです。第15回での写真19に見るように、普通の大きさの温室と大きな風呂桶のような容器で育てただけでも、皆さんのご両親が若い頃に「つくば科学万博」で見たかもしれない1万個以上もの果実を着けたトマトの樹木が出来たのです。しかし、実際にはトマトの地上部と地下部の生長速度を対応させるためには、生体ダイナモを体内時計に同調させる工夫が必要でした。次回はそのお話をしましょう。

 


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