森の世紀が始まりました (第23回)
── 命を支えるダイナモ (2) ──

日本樹木種子研究所所長・東北大学名誉教授  江刺洋司

 今、私達は「森の世紀」・「水の世紀」と言われる時代に生きています。そこで前回は、地上の植物の全てが、先ず水を確保できる見通しを得てから生涯を始めていることを写真24を基に理解しました。そして水は、命の営みの各所でどんな重要な役割を果たしているのか、そしてそれは体内時計という代謝の調節系を介して行なわれていることを学びました。これから、いよいよその内容に踏み込むのですが、その前に一つ一つの樹木が集団を成している森の中の自然をもう一度見つめたいと思います。日本の各所に点在する小さな森林は勿論、アマゾンの熱帯雨林やシベリヤの針葉樹林が人類にとって掛け替えの無い宝であり、地球号の守り手になっていることを確認しておくことが皆さんのためになると思います。第1回で森は海と同じ水の供給源であること、第17回では森が地球温暖化の阻止のために二酸化炭素の貯留に活躍している働きを知りました。そして、深海での生物を除いては、生き物の生きる営みの全ては、水と大気中の二酸化炭素に依存しての有機物(食料)の生産・消費の枠内で理解でき、それを動かす主役は太陽光で、自然の食物連鎖の駆動力となり、多様な生き物の命を支えていました。

自然の森では二酸化炭素濃度はどのように変動しているのだろうか
  先ず森を考えるには、それが一本一本の樹木が構成員となった集団として理解し、それが全体に対してどのように反映しているのか知ることです。第1回では地球上で森は水の循環の担い手としては海と同等であると言っても良いほど重要で、それは蒸散という生理作用で太陽エネルギーの9割をも水蒸気の発生に向けたのですから、海洋のように単に海水温度の上昇につれて水蒸気を発生する受身の立場で水を蒸発させて大気中の水循環系へ関与するのと比べれば、単位面積当たりでの大気中への森からの水分の供給は極めて大きく重要なことを学びました。
 次いで、第17回では化石燃料が枯渇に近づいている現代、日夜を問わず二酸化炭素や窒素酸化物を還元固定する樹木の役割は極めて大きいことを述べましたが、樹木が集団となった時の森の役割は、まさに地球温暖化阻止の働き、水の循環系の担い手としての働きにも匹敵するほど大きいものでした。ところで図14を見て下さい。まだ、大気中の二酸化炭素濃度が凡そ330 ppmの半世紀前の古い研究成果ですが、その内容が語ることは今も貴重です。特に太陽光が輝く日中には、森林内部の樹冠部で活発に営まれる光合成によって二酸化炭素が吸収還元されて、25 ppmも少ない僅か305 ppmの濃度にまで低下しています。無論、夜になると、地表面の落葉が腐食して微生物によって分解(酸素呼吸と無気呼吸両者による)されるので、地表近くでは30 ppmも高い360 ppmの濃度を示していますから、光合成による二酸化炭素濃度の減少も相対的に評価すべきですが、森林を構成する各種の木本植物の材の部分にリグニン(図8,10)として蓄えられた量は、それらが朽ち果てることがない限り、大気中の二酸化炭素の循環系から除かれることになるので、豊かな森が木材となって増える重量の大部分は大気中からの二酸化炭素の固定分として算定しても良いことになります。つまり、森林を構成する木本植物の一本一本が二酸化炭素の貯蔵庫となるのですね。

地中の二酸化炭素も重要な働きをしています
 ところで、夜間の地表近くでの二酸化炭素濃度の上昇は、落ち葉の分解から発生するだけでなく、林床の草本植物の呼吸からの排出分も含まれますが、この事実は日中の地下では無論、夜間での地下が極めて高い二酸化炭素濃度になっていることを示唆しています。地上で昼間に形成された光合成産物は幹の周囲の形成層中にある篩管(第16回・図7)を通じて地下の根系に送られ、そこでの酸素呼吸の基質となって脱炭酸されていますから、地中での二酸化炭素濃度は更に高くなってしまいます。私達人間をはじめ動物の細胞をペトリ皿中で人工的に培養するには、空気に高濃度の二酸化炭素を混入しなければならないのですが、植物も地下の大気に酸素だけでなく高い濃度の二酸化炭素を求めています。街路樹もまともに成長するには落ち葉が清掃されてしまうよりは、自然の森のように落ち葉に埋もれた、ふわふわの大地で空気に満ちた地下環境を求めているのです。地下では、二酸化炭素はリンゴ(第20回、図11)のように根に再度吸収されて有機物生産に使われますが、水に溶けて弱酸性となって炭酸イオンが土壌岩石粒子からミネラルを溶解・抽出し、やがて朝になってそれらを水分と共に地上に送る役目も果たしています。全ての植物の根系は、地上から送られて来た光合成産物を用いての酸素呼吸で得たエネルギーを用いて種々の営みを果たすと共に、自らの成育には地下の暗闇でも二酸化炭素の還元固定に依存しているのです。それらの炭酸イオンは根系の生育には欠かせません。動物の細胞培養にも二酸化炭素を多量に含んだ大気が必要であるのもそんな理由からでしょうか。


トマトを樹木に変身させる要因は根にあった
 「つくば科学万博」でトマトを樹木にまで育てる知恵は根が求める各種の条件をどのように与えるかにありました。栽培管理の上からは、コンピューター制御で持続的・自動的に可能な方法であることから水耕栽培が望ましいものでした。まさに、盆栽とは全てにおいて逆の条件を与えることに成功の秘訣があったのです。長い科学技術史を通じて植物の水耕条件は既知のことであり、種々の組成(三大肥料の窒素、燐、加里以外にミネラル含む)の溶液が提案されていますが、そのどれにも炭酸塩は含まれていません。二酸化炭素は意識されていたか否かは別にして、溶液に空気(酸素)を吹き込む際に同時に二酸化炭素も吹き込むことになり、それが常法となっていたのです。従って、トマトを樹木にまで生育させ得ると判断した第三の条件、盆栽と逆の条件とは、根系の生長を妨げるような容器であってはならないこと、充分に大気を供給できることであって、はじめて樹冠の生育に見合う根の生長を確保でき、必要な全ての成分を含む培養液中で二酸化炭素を含んだ空気を大量に泡立たせ続け得ることになります。そのような条件の下で、先の体内時計(第19回および図13)に同調させ得るような光と気温の条件を与えれば、トマトの中で本格的に生命のダイナモを稼動させ続け、一年草を樹木に変身させ得るに違いないと思えたのです。初夏の気候のように、やや短い夜間には気温を下げて地上から地下への光合成産物の転流を促がし、やや長い昼間には気温を上げて送水量を確保するという日照と気温のリズムを与えるならば、トマトは理論的通りに応える筈です。その時にダイナモはどんな風に作動するのでしょうか。


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