森の世紀が始まりました (第24回)
── 命を支えるダイナモ (3) ──

日本樹木種子研究所所長・東北大学名誉教授  江刺洋司

 生き物の命の営みには水が無くてはならず、植物の場合にはそれが種子の発芽の段階からすでに見られることを第22回の写真24で実際に知ったと思います。しかし、それは何も発芽現象に限ったことではなく、第15回で話した挿し木、葉挿し、芽挿しなどでも先ずは何とか発根させることが出来なければ、同じ遺伝的組成の固体(クローン)を再生させ得ないと云うことでした。とにかく、各種の養分やミネラルを含んだ水分の供給体制を整えるために、先ず根系をしっかりさせることが育苗の常識だったのです。ところで、前回には根系が水分を求めて這い回る地下空間は自然界では、大気中よりも遥かに高い二酸化炭素濃度に曝されているという状況を皆さんに意識してもらいました。植物が地上部で茎、葉、花や果実として有機物を生産(成長)するには、地下ではそれらの成育量に見合った養分を水分と共に送るための根系量を先ずは確保せねばなりません。しかし、その根系量を地上部から移送されて来る有機物にだけ依存して確保できるものではないのです。根系は自ら地上部が補給してくれた有機物、主に糖分を活用して根の周囲に満ち溢れている二酸化炭素を、先のリンゴ(第20回、図11)がするよりももっと積極的に活用しないことには、地上部の成育速度に見合った送水量を確保するに充分な見事な根系に発達させることは出来ません。地下空間においてそれを果たさなければ、その植物は種子として子孫(遺伝子)を後世に沢山遺せないのです。それには、太陽光に依存しようとしまいと、動植物に共通な「生体ダイナモ」が体内時計(第19,21回)と同調しながら稼動していることが必要なのです。

生命を支える「生体ダイナモ」の仕組みとは
 第5回では光合成とは初期の光化学反応(明反応)でATP・NADPHを用意し、次に来る暗反応と云われる酵素反応で種々の有機物を作ることですと話ました。夜の植物や地下を這い回る根系、そして私達動物では有機物を生産するために必要なATPはミトコンドリアでの酸素呼吸から、そして還元力NADPHは解糖系の中間に挿入されたペントースリン酸回路の働きから得ることを第18回の図10で学びました。自然界での有機物生産こそが生きる過程そのものですが、動植物共に生体エネルギーATPとNADPHに代表される還元力の両方がそれには必要でした。これまで、リンゴが酸素呼吸で光と無関係に二酸化炭素を還元固定していると述べて来ましたが、実はその際にNADPも関わっていたのです(後述)。地下で地上の要求に応えて必要量の養分や水分を供給するには根系がそれなりに枝分かれして伸長することが必要なのですが、それには根を構成する有機物の生合成が約束されねばなりません。言い換えれば、根系は地上から移送されてきた糖分を酸素呼吸の源にして、ATP以外に必要量のNADPHを供給せねばならなかったのです。光の無いところで両者を準備するとすれば、解糖系のバイパスであるペントースリン酸回路に移送されて来た糖分の一部を回さねばならぬことになるでしょう。そのことで、根自体が成育するためのNADPHだけでなく、ATPそのものの前駆体である各種のプリン化合物やピリミジン塩基の基本骨格となるリボース5P(図10)をも供給出来ることになり、核酸合成が可能となって根端では細胞分裂やタンパク質の生合成を始め得るのです。
  先に第13,14回での説明で、動植物に基本的なこれらの代謝系を順調に働かせるにはATP→ADP+Piという生体エネルギーを活用する反応と共役せねばならず、そのことは酸素呼吸でクエン酸回路(第20回、図12)が作動して水から取り出した電子をNADの還元に利用させ、還元したNADH中の電子を大気中の酸素に手渡し、酸素を還元して水を再生産する際(酸素呼吸の本体(第14回、図6)で酸化的電子伝達系と言われる)にADPとPiが共に必要だったからです。この生体エネルギー供給・再生産システムこそ、ここであらためて「生体ダイナモ」と命名できるほど重要な生命の営みの本質でもあったのです。この部分は命を語るときに常に中心となる存在なので、更に図15のようにまとめ直して皆さんの理解を得やすいように工夫してみました。

図15

「生体ダイナモ」は動植物に共通でもその働き方が違っている
  緑色植物の根系は日夜を問わずに、地上の緑葉が日中に光合成で生産した糖分の供給の下に生長を続けます。その点では、草食動物の生きる仕組みと基本的には同じ代謝系が作動することになります。ただ、草食動物の場合には、地上部の緑葉をまるごと食べてしまうので、緑葉そのものを構成する全ての有機物、それ自体の脂質、タンパク質、核酸にとどまらず、葉緑体やミトコンドリアの構成化合物をも食べるので、肉食動物と栄養学的にはさほどの差はなく、人間でもベジタリアンという植物性の食品しか食べない人も同じ様に生きることが可能です。その点では、植物の根系は茎や幹の篩管(第16回,図7)を通じて供給される糖分に依存して生きるのですから、図15の「生体ダイナモ」の稼動は両者が生きるのに共に必要であるとしても、草食動物とは違って来ます。つまり、動物の場合には、細胞分裂に必要なタンパク質や核酸は食べ物を分解してから吸収・再利用出来ますが、根系ではその先端での細胞分裂とその後の伸長によって地中を這い回るにせよ、地上から送られて来る糖分だけをエネルギー源として活用して自分自身で生きるに必要な全てを賄わねばなりません。必要な元素は自らが大地から直接吸収して活用せねばならないのです。ですから、「生体ダイナモ」は全ての生き物に必要な普遍的装置と言えますが、それが動物で働く場面と植物が働く場面は、ごく一部を除いて違って来ます。言い換えれば、動物と植物との違いは、このダイナモの活用の仕方にあると言えるでしょう。
  したがって、生産されたATP自体が関連物質の構成要素として使われずに、ダイナモの回転系に入り込むとしても、ATPから放出された高エネルギー保有のPiがどんな仕事に用いられて、つまりエネルギーを放出してPi に戻って、再びADPと結合してATPの生産に向かうかは、動物と植物とでは大きく異なります。図15中におけるPiが、エネルギーを放出して Pi に戻って来る割合は、動物の場合には植物に比べて遥かに大きくなります。植物の場合には、それこそ根系が直接大地からPiを吸収することになるので、戻って来る量は動物と比べようも無いほど小さくなります。運動したり、発熱して体温を保持するためにATPを必要とする動物と、動くことも出来ず発熱もしない植物とではATPの使い方が違って来るのは当然で、動物と植物との生き方の違いは「生体ダイナモ」の使い方に反映しています。ではそのために植物はどんな工夫をしているのでしょう。

 


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